T型人間とか、T字型人間だとか、そういう人間になりなさい、と言われます。誰に? 上司に。知らないけど。
T型人間というのはどういうことかというと、はいているパンツの形がT型とかそういう飯島愛的なことではなくて、もっとビジネスチャンス的なこと、すなわち縦棒を専門的素養、横棒を一般常識に見立てて、ジェネラリストでありながらスペシャリストである人間のことを言うそうです。
専門馬鹿では視野が狭いため、この激動の世の中からいつの間にか置いてけぼりを喰らいます。
一方、単なるジェネラリストでは、強みや存在意義がないために、他の誰かに取って代わられる、あるいは、単なるコンピュータに仕事を奪われるという結末に陥ってしまうよというわけです。
だから視野の広いジェネラリストでありながら、レーゾンデートルとしての何らかの強みを一本持っておこうよ、という警鐘なのです。
何でもいいから強みを持っておくとどうして良いのかというと、未知の分野にぶつかったとしても、自分の強みに照らし合わせてその分野を理解できるからなのだそうです。
そういえば簿記の仕訳をしているとき、借方貸方を一致させなきゃいけないんですけど、これってもうあからさまにエネルギー保存則というか、つまり専門外の会計学を学んでいても、物理学という自分の得意な土俵で相撲が取れるというこのハイポテンシャルぶりを発揮できるわけですね。
以上は学問の話で、今度はスポーツの場合。実はこっちの方が、自分の強みを持つことの利点を実感しやすいと思われます。
文武両道なんてな言葉がありますが、あれは別に文と武、どっちも優れているなんて素晴らしい、などという意味ではないのですよ。
本来の意味はすなわち、文か武のどっちかが優れていればいいのではなく、これら2つは乳母車の両輪のごとく一人の人間を支えるものであって、ゆえにどちらも平等に鍛えるべきであり、2つ同時に極限までやり尽くしたとき、眼前の大海が真っ二つに割れ、天空の扉が開いてまばゆいばかりの光が降り注ぎ、天使ガブリエルが希望の船エスポワールに乗って地上に降り立ち、啓示を読み上げてくれるそうで、それを聞くことによって涅槃寂静神の国ユートピアに行けるとか、真の勇者が生まれるとか、そういうことなのだそうです。
で、絶対にスポーツの分野においては、誰も彼も自分のアイデンティティを持ってやがるんですよ。
たとえば僕の場合、スポーツやるときは絶対にテニスを軸にして考えます。卓球やるときもバドミントンもバレーも野球も、テニスが軸です。すると、結構すぐにテニスの方法論を応用して、新たなスポーツもものにできるんですよ。あとは、基本的にテニスは走り回るから、走る、飛ぶ系の陸上競技は得意です。
ちょっと経験則に基づくと、卓球やってる人にテニスやらせると、どうもドライブをかけることにばかりこだわる癖があって、フォームがいびつです。でも上達は早いです。バドミントン野郎にテニスをやらせると、あの硬いボールを手首だけで撃とうとし始めるのでちょっと怖いですが、それでも上達は早いです。ここに撃ち組の派閥が感じられます。
でもね、どうしても撃ち組派閥のものさしじゃうまくいかないものがあって、それはバスケ、サッカー、あれはどうにもならんのです。アメフトとか。やったことねえよ。
で、これは経験則ですけど、サッカーで育っちゃったやつにテニスやらせようとすると、嫌がる。卓球もバドミントンも。バレーと野球はそつなくこなす。バスケはむしろ得意。サッカーやってるやつはポジショニングとか上手いから、バスケも得意なんですよ絶対。
独断と偏見によると、サッカー系とテニス系の間には、あたかも冷戦時代のごとく、鉄のカーテンが存在しているわけですよ。
だから勝手にグルーピングすると、Aグループにサッカー、バスケ組が来て、Bグループにネット挟んだ個人競技、例えば卓球とかバドミントンとかテニスとかを置くと、AかつBに野球とか、バレーとかが入りそうです。
だから、今小学生の人は、まあ休み時間にはサッカーや野球はやってるだろうから、ぜひバスケ部に入るべきです。そうして中学になったら、ソフトテニス部に入るべきです。
そうすれば、その後いかなる未知のスポーツに出会おうとも、無敵艦隊アルマダ的に、バルチック号だと考えます。